私が、好きな事を見つけて、好きなお仕事をさせて頂いている今。
心から夢中になれる事をしています。
毎日が充実していて、
学校から帰ってくる娘達が、とっても可愛いと思えるようになりました。
そんな日々を見つけたからこそ見えてくる過去。
ズバッと言えることは、
面倒な自分がいなくなりました。
以前は家事と子育てに追われて、決して暇な毎日ではないと
思い込んでいた私。
仕事をしないで、しっかりと育児をしたいと思っていたあの頃。
それなのに!
子供達が、幼稚園や小学校に行っている間の時間を
やっと静かになったという思いで過ごす。
あの人からこんなこと言われたんだけど、どう思う?
と電話の向こうのお友達に愚痴る。
週末やだなー、あそこに行かなくちゃいけないと憂鬱になってみる。
今、冷静に考えると・・・
暇だから子供に目がいきコントロールしようとしていたのかな。
子供に依存していて、
そうすると、
子供が親に依存して、
なんでも親に聞かないと決めれない子になる。
親の意見が正しいと思い込み、親の考えで生きて行く事になってしまう。
これは、やっぱりダメ!?
だって、
違う体質だし、
気質も違う、
似ていても、
同じではない。

子育てだけではなく。
「あの人にこんな事言われた。」
って、忙しいとそんな事気にしてられなくて。
楽しい時間を過ごしていると、勝手に自分で跳ね返している。
時間があるから、いつまでも頭の中に滞って、モヤモヤを抱えたまま生きていて。
先の事を考えて、憂鬱になるのも、そんな事考えている暇があったんだなって。
なんに対しても執着という形で関わっていたのかもしれない。
好きな事をしている今の私の日中は。
楽しいことの追求や、お仕事への責任感、緊張感を味わい、充実した時間を過ごしています。
だから、子供達がやっといなくなったという感覚はなく、
朝の送りが終わり、ささっとお掃除して
さて、あれをやるぞ!と前向きの気持ちしかなくて。
お友達に愚痴る、暇な時間はなくて。
そもそも、愚痴がなくなっていて。
週末のことなんか、考える暇なんかなくて。
憂鬱になる行事もなくなっていて。
だから結局、
私は暇だったんだって思います。
暇だから、
子供に口出しするし、
ぐちも出てくるし、
憂鬱になれる時間があったんです。
何か悩み事を探していたんだと思います。
心の底から、夢中になれる事を持っていなかったから。
今は・・・
平日は、娘達も私もそれぞれの場所で楽しく過ごし、
週末はパパもいて家族と楽しく過ごすこと。
そしてクライアントさんの思いをサポートする事を考えています。
それが、私の楽しい充実した日々を送れる事なんです。
私が、子供達に執着しなくなったから、
子供が自由に過ごせている。
子供達が、自由に決めれる事に繋がっているような気がします。
以前は決断者は私だったので、
子供達がいちいち私の顔色を伺って
いたのだと思います。

次女は、学校の休み時間にあるChoir(合唱クラブ?)に、やりたい子だけ入れるのですが、
「ママ、1回入部したら死ぬまで辞めれないクワイヤー入っちゃった〜」
と自分で決めて入って見たり。
「死ぬまで辞めれないのに、やるの!?」(先生が怖いっていう噂!)
と言ったら(笑
「うん、やるよ・・・」と。
その発表会があるから、見にこれるー?と言われて
「わかった、行けるよー」と見に行ったら、すごく楽しんでいて♫
*
長女は、卒業制作に使う小道具を買う担当になり、
「ママ、今日みんなの衣装になるものを探しに行きたい!」と目をキラキラさせて言います。
「今日!?あ、でも建築士さんが16:30に来るからそれが早く終われば行けるかもー」
と言えるわけです。
思い通りの物が買えたけど、お友達に気に入ってもらえるか、少し不安になりつつも
「みんな喜んでくれた!」とホッとしたり。
私が楽しくしていると、子供もいつしか
自分の本当の気持ちで行動できるようになり
決断も自分でできるようになったような気がします。